パラリンピック時代(ダイビングを中断していた時期)

  • 88年より本格的に競泳を再開。水泳に集中するためダイビングを一時中断する。身体障害者の水泳大会である東京選手権、関東選手権、日本選手権に於いて25m、50m、100mの平泳ぎ、50mのバタフライ、25m、50m、100mの自由形、100m個人メドレーで日本記録を樹立。
  • 同年8月友人がダイビングショップを設立。発起人として参加する。指導協会はJP(日本職業潜水教師協会)。
  • 89年8月19日、14ヶ月もダイビングから遠ざかっていたため、伊豆の八幡野でチェックダイブを行い(ダイブ#53〜54)OKをもらう。
  • 90年、全国身体障害者スポーツ大会(身障国体)福岡大会の選手に選ばれ、50m平泳ぎで50”45の国体記録及び日本新記録を樹立。
  • 91年と92年にジャパン・パラリンピック水泳大会で100m平泳ぎに優勝し、バルセロナ・パラリンピックの日本代表選手に選ばれる。
  • 92年のバルセロナ・パラリンピックで50m自由形、50mバタフライ、100m平泳ぎに出場。平泳ぎで決勝に進出し、6位入賞。
  • 95年、アクティブジャパン創刊号でスクーバダイビングを特集。後にASDF副会長になる河井修君(半身麻痺)と鈴木千佳子さん(脊髄損傷)がモデルとして参加して、Cカードを取得した。
  • 同年4月、所属していたダイビングショップが、より身体障害者に合ったプログラムを提供できるようにと、SSI(SCUBA Schools International)に指導協会を変更。
  • 同年7月、神奈川県三浦半島にある城ヶ島一周遠泳大会のリレーの部(約8kmを4人でリレー)に会社の仲間とチームを組んで出場し完泳する。最終区間を泳いだ自分の記録は24分04秒だった。
  • 同年11月、ジャパン・パラリンピック水泳大会の50m平泳ぎで長水路世界記録(未公認)を樹立するが、アトランタ代表選手の選考に落ち、競技選手としての現役を引退。しかしマスターズ等の大会には今でも参加している。