2003年のメッセージと活動

最近のセミナー

<2003年11月29-30日鹿児島、2004年1月17-18日三重>
今年で10年目を迎えた私のシーティングセミナーですが、以前はPT、OTの方を中心としたものが大半でした。しかし最近依頼を受けるセミナーに新しい傾向が出てきました。ひとつは介護関係の方たち、そしてもうひとつは当事者の方たちです。それを象徴するようなセミナーが11月の終わりと1月のはじめに鹿児島と三重でありました。どちらも、初日は高齢者および介護関係者、そして2日目が当事者向けセミナーでした。高齢者・介護関係の方達はケアマネージャーや訪問看護の方が中心ですが、このような方たちがシーティングに興味を持ってくださったことで、介護にも大きな変化が生じると思います。使用される方に合った車椅子とシーティングを選定し、設定して提供できれば自立と介護軽減は可能なのです。
鹿児島での当事者セミナーは養護学校で、障害児とご両親そして先生方を対象に行いました。障害児に関わる方全員にシーティングによって変形等の二次障害の防止ができることを理解していただき、早期から対応を始めることはとても大切です。
三重県の津で行った当事者セミナーは脊髄損傷と脳性麻痺の方でも車椅子が自操できる方を中心としたものでした。すでにアクティブな方たちですが、ずっと健康で活動するために、シーティングによる二次障害の防止は不可欠です。こちらは褥瘡の予防と再発防止、変形の予防と悪化の防止を中心に行いました。
2004年は、このような当事者セミナーも多く開催していく予定です。開催や参加ご希望の方はアクセスインターナショナルのホームページからお申し込みください。

ボラカイ・ツアー2003

<2003年11月22~25日>
三連休利用してフィリピンのボラカイ島ーのダイビング・ツアーに参加。ヨーロッパの人々が絶賛する白い砂浜と青い海は最高。魚や水中生物はとても多く、ダイビングも大いに楽しめたのですが、バリアフリーの面では、過去に味わったことのないほど大変でした。しかし今となっては楽しい思い出です。詳しいボラカイ・ツアーのレポートはこちらから。今回のレポートは、ダイビングツアー・リポートと言うよりは、バリアフルな環境への挑戦リポートのようになってしまいました。

 

国際福祉機器展・HCR2003

<2003年10月15~17日>
今年もHCRが東京ビッグサイトで開催されました。毎年書いていますが、今年も週末の開催は実現されませんでした。海外の福祉機器展のように週末に開催して、働く障害者が会社を休まなくても見にこれるようになることを切に願います。
今年も私は毎日セミナーの講師を務めました。初日はシーティングによる褥瘡予防・再発防止、2日目は重度な障害者のためのベルトやヘッドサポートの活用法、そして最終日はスタンディングの効用についてお話ししました。2日目などは、かなり特殊なテーマだったのにも関わらず、どのセミナーも満員になりました。(写真右)初日の褥瘡予防セミナーに至っては、朝早かったのに立ち見のスペースもなくなるほど盛況で、10年も普及に努めてきたシーティングに対する関心の高まりに大感激でした。これからも更なる普及のために尽力していく所存です。
今回もアクセスのブースは海外の輸入元との合同ブースになりました。(写真左)今年も海外の担当者が多数来日して、ブースを手伝ってくれましたが、実際に現場で障害を持った方達と接している方が多かったので、ブースに訪れた多くの方達にシーティングやスタンディングを試していただけました。名刺をおいて行かれた方だけで1000人を超える方々にブースにお出でいただき本当にありがとうございました。

MedTrade2003

<2003年10月9~11日>
今年も全米最大の福祉機器展メド・トレードに行って来ました。参加の目的は、取引先との会議、新製品に関するトレーニング、講習会への参加、そして新規取引先と新製品の発掘です。今年も様々な新製品が発売され、それについて学ぶだけでも大変ですが、毎年楽しみにしているのはEducational Sessionと呼ばれる講習会への参加です。幼児から高齢者まで、スポーツから重度障害者まで、様々なセミナーが行われ、同じ時間に参加したいものが重なって困るほどでした。今年は子供と高齢者とり混ぜて9つのセミナーに参加しましたが、特に印象に残ったのは、子供のための電動車椅子と特殊コントロールに関するセミナーでした。日本では学校に上がらないと電動車椅子を使わせない自治体も多いのですが、米国では生後18ヶ月から電動車椅子を使用しており、健常児と同様の発達をさせるために重要だという考えがあることに驚きました。今回学んだことについては、私の子供向けのシーティングや電動車椅子のセミナーでお話しして行きたいと考えています。毎年とても多くの発見のある講習会なのですが、今年はこの直後にHCRがあるために参加を躊躇していました。しかし、無理して参加してよかったと思える、たいへん有意義な今回の渡米でした。

 

終わりよければ全て良し?

<2003年10月4~5日>
ジャパンパラリンピック水泳大会から2ヶ月、今年の締めくくりの大会となる日本身体障害者水泳選手権大会が東京辰巳国際水泳場で、40都道府県から352人の選手が参加して開催されました。私自身は、8月、9月と、千葉、鳥取、神奈川、高松でのセミナー開催など仕事が忙しく思うように練習ができず、万全とは言えない状態で臨んだ8年ぶりの日本選手権でした。初日は、得意種目の50m平泳ぎ。開会式の前にアップしたときも調子が良く、自信もあったのですが、競技が午後4時過ぎという時間になり、アップした身体がどんどん冷えてしまいました。プログラムにもウォームアップは競技開始前だけと書いてあったのです。しかし、招集場に行ってみると、サブプールでは常時泳げることが分かりました。でも短距離だから何とかなるだろう、という私の考えは甘かったようです。アップから4時間も経った身体は冷え切っており、スタートから飛び出して泳いでいたのに、残り15mで失速し、隣のコースの軽部君(シドニー代表)に0.08秒差で負けてしまいました。ジャパラと同じような展開ですが、最後に油断したジャパラとは違って、動かなくなった体で全力を出して泳いでの結果でした。ジャパラで負けた浜村さんには勝ったものの、アップができなかったことが悔やんでも悔やみきれない気持ちでした。
2日目は100m平泳ぎ。この日も競技は大会終了直前最後の方だったため、前日の反省から競技招集時間にアップが終わるようにアップを行い。1200mじっくりと泳いで身体を暖め、身体をほぐして競技に挑むことができました。今回のレースには、ジャパラで争った清水君は出場したもののライバルの浜村さんは欠場ということでちょっと残念でした。もう一人岩井さんという歩くこともできる障害の方を加え、3人のレースとなりました。今回も前半を抑えて、後半にスタミナを残す作戦。スタートの合図で飛び出して泳いでいきます。(写真)50mのターンではリードを確認。入念なアップのおかげでスタミナも切れません。大きく伸びる泳ぎを心がけてゴールを目指します。最後は少しスパートをかけてしっかりとタッチし、電光掲示板を見上げます。2’09”92で1位。2位以下に8秒以上の差をつけたぶっちぎりの勝利でした。パラリンピックに出た頃のタイムにはまだおよびませんが、ジャパラよりも2秒以上速くなり、今年の目標だった2分10秒が切れてとても嬉しかったです。その上、電光掲示板には「大会新記録おめでとう」の文字とアナウンス。数年前にクラス分けが変更になったことで、12年前に私が設立した大会記録が抹消されて新しい記録になっていたようです。また自分の記録が大会記録になり、ダブルで嬉しい大会でした。こういう事があるからいくつになっても水泳はやめられないのでしょう。

チャレンジド・ジャパン・フォーラム

<2003年8月21~22日>
8月21日、千葉幕張メッセ国際会議場で開催されたチャレンジド・ジャパン・フォーラムの2日目にシーティング特別講座を開催しました。主催者であるプロップステーション代表の竹中ナミさんと昨年座談会でお会いした際にシーティングについてお話ししたのが今回の特別講座のきっかけでした。「チャレンジドを納税者に」という理念のもとに障害者にコンピューターを教えて就職に繋げることに成功しているプロップですが、痛みや疲れ等によって車椅子に乗って活動できる時間が2~3時間に限られてしまう者が多いと聞き、シーティングを使えばフルタイムで働くことのできる障害者をたくさん作れることを説明し、実際に痛みや褥瘡、離床時間に問題のあるメンバーをお手伝いしたのです。今回の特別講座の最後にはシーティングによって変形と褥瘡の問題を解決した方とベッド中心の生活から一日中活動できるようになった方にご自身の体験を発表していただました。また70分に凝縮した特別版のシーティングセミナーでは「シーティングで何が可能になるか」を中心に症例を含めて話し、500人以上の参加者から大好評を得ました。しかし省庁や地方自治体の方にも「初めてシーティングについて聞いた」、「車椅子でこんなことができるなんて」という驚きも多く、まだまだ普及活動が必要なことを実感しました。
写真は前列が私とシーティングを使っているプロップのメンバー2人。後列右が竹中さん(ナミねえ)、左がUSICD代表で両手片足切断のジョン・ケンプ氏。

久々のジャパンパラリンピック

<2003年8月16日>
関東大会から2ヶ月が経ち、ジャパンパラリンピック水泳大会が大阪、門真市のなみはやドームで開催されました。前日に国際クラス分けが行われた関係で、当日まで競技スケジュールが決定せず、朝の練習時間にアップを行ったものの、競技開始が夕方5時以降になってしまい、コンディションの維持が難しかったです。私の出場した100m平泳ぎの1組目では、車椅子使用者を中心として、クラスSB4、5、6の選手が一緒に泳ぎました。私のクラスは、シドニーの代表で、4年前のジャパラで私が負けた浜村さんと、京都の鈴木君の3名。競技前、浜村さんと私は、前回のレースを振り返って色々と探り合いという感じ。しかし、招集場では3人で色々と話をして、とても和やかな雰囲気でレースへ。私は前半を抑えて、後半にスタミナを残す作戦。浜村さんはラスト25mでスパートという作戦だったそうです。スタートの合図で飛び出し、前回の反省から、少し抑え気味で泳いでいきました。50mのターンではリードを確認。しかし、アップから時間が経ってしまったせいか、乳酸値が上がってきたのが分かります。しかし何とか逃げ切れそうだと、私は大きく伸びる泳ぎに変えてゴールを目指します。あと10m。ラストスパートをしようか?横目で見ても浜村さんは見えません。いいや、今回はタイムよりも勝つこと。このままでゴールしよう。そして手を伸ばしてしっかりとタッチにいきました。ところが、その時、左側に浜村さんのタッチする手が。まさか!電光掲示板を見上げると1位は3コース。0.4秒差で4コースが2位。やられた!しかしそのとき浜村さんが握手を求めてきました。コースロープごしに握手。2人とも笑顔で、なぜか私もとても清々しい気分でした。レースに負けてこんな気分になったのは初めてです。今回はお互いあまり調子がよくなかったので、戦い終わって称え合ったという感じでした。2人とも40代。でもこれからも競い合っていくでしょう。30代の清水君が伸び、もっと若いライバルが現れることを期待しつつ10月の日本選手権でのベスト・コンディションでの再戦を約束して会場を後にしました。
今回の国際クラス分けで、私の自由形、背泳ぎ、バタフライのクラスは、バルセロナのときのクラス7からクラス5に変更になりました。バルセロナのパラリンピックは、新しい10段階のクラス分けが初めて行われた大会で、クラス分け委員も戸惑っていたようです。しかし、クラス7にされたことで、自由形とバタフライは予選ビリで敗退。あのときクラス5だったら決勝進出どころか・・・

久々の水泳大会

<2003年6月22日>
バルセロナのパラリンピックに出場した頃は、毎日のように仕事の後に水泳の練習に通っていました。しかし、当確と言われていたアトランタの代表から最後の最後で落ちてからは水泳大会から遠ざかっていました。そして仕事が忙しくなって水泳に行く時間がなくなりました。最近ではスポーツの中心はダイビングに変わり、ダイビングのために時々泳ぎに行く程度。しかし、歩くだけでカロリーを消費する健常者と違い、車椅子使用者は積極的に身体を動かさないと、色々な問題が出てきます。私も、体重は増え、筋肉が落ちて、側彎も少し悪くなり、成人病の危険性も出てきました。ナントカせねば!心に決めた私は、今年の3月から時間を作って泳ぐように心がけてきました。時には、水泳の後にまた仕事に戻ることもあります。すると、継続は力なり。体重は減り、筋肉は戻り、動きやすく、風邪もひかない、とても健康な体になってきました。ハードスケジュールも疲れずにこなせ、ダイビングも更に楽に長時間潜ることが可能になりました。
また、時々計測していた水泳のタイムがどんどん縮まっていくのが楽しくなりました。もちろん、最盛期と比べれば、ひどくタイムが落ちていたのですから、タイムが良くなって当たり前でしょう。そうなってくると自分を試してみたくなるのが元水泳選手の性。久しぶりに関東身体障害者水泳選手権に参加してきました。3年ぶりの大会だったため、多くの水泳関係者や選手達に驚かれ、冷やかされてしまいましたが、大会の雰囲気は楽しかったです。久々の大会でちょっと緊張したものの、100mと25mの平泳ぎで3年前よりも良いタイムを出すことができました。ジャパンパラリンピックの標準記録も突破することができたので、今年泳ぎ始めた頃は考えていなかったことですが、ジャパラと日本選手権にも出場することにしました。前回ジャパラに出場したときは、練習不足のため、最後にバテて抜かれてしまって恥ずかしかったので、汚名返上できたら嬉しいです。

岡部くんのカレンダー

<2003年5月~>
友人で、頸髄損傷のCGアーティストである岡部貴聡くんが、毎月カレンダーを描いて、葉書で送ってくれるサービスを始めました。彼はモトクロスの事故で頸髄の3,4,5番を損傷して、肩から下が麻痺しています。しかしヘッドコントロールの電動車椅子を駆使してロックのコンサートからモトクロスのレースまで、本当にアクティブな活動をしています。その彼の本業はCGアーティスト。パソコンを、口にくわえた棒とイージーアクセという機能を使って操作し、CGでイラストを描いています。私は彼の絵の大ファンです。いままで彼は、一部の知人にカレンダーを葉書で送っていましたが、5月から仕事の一部として一般向けの販売を始めることになりました。今までにも雑誌に掲載されたり、広告にも使われた彼の作品ですが、これを機にもっと多くの方達に知っていただきたく、こちらに掲載しました。¥2,000で1年間毎月彼のイラスト・カレンダーが届きます。詳しくは岡部くんのホームページへ。

スタンディング研修2003

<2003年3月3~4日>
国際シーティング・シンポジウム参加後に、我々が日本総代理店をしているイージースタンド等のスタンディング器機のメーカーであるAMI社から、スタンディングの研修のためAMI本社に招かれました。招待ということで喜んで了承したところ、本社はミネソタ州にあり、気温25度のフロリダから、気温マイナス16度のミネアポリスに行くことになってしまいました。気温差41度でした!その上、航空会社のミスで荷物の到着が遅れ、一時はどうなることかと思いましたが、何とか事なきを得ました。
研修ではスタンディングの効果について詳しく説明を受けた後、障害ゃニーズに応じた製品とオプションの選択、そして微調節について学びました。以前、スタンディング車椅子のリーボ社の研修に参加したことがありましたが、ヨーロッパと北米では、立てない方を立たせることによって様々な効果を得るスタンディングが本当に浸透していることを再確認しました。今回学んだことも、日本でのスタンディング・セミナーに反映させていたきたいと考えます。
写真は、前列左から、イージースタンドの開発者でありAMIの創立者であるアラン(頸髄損傷)、私、アランの弟で副社長のトッド。後列は、左から日本担当者のアンドリュー、そして弊社の営業と技術担当者。

2003国際シーティング・シンポジウム

<2003年2月26~3月1日>
今年も国際シーティング・シンポジウムに参加してきました。今年で19年目になるISSは、フロリダ州オーランドの新しい会場を使って開催され、朝から晩まで様々な講習が行われ、シーティング関連製品の展示会も同時開催されました。1月に日本に招いたシャロン・プラットさんや、10年前にシーティングセミナーを日本で始めたときにセミナーをしてくださったジョーン・パジェットさんも講師として参加されていました。
今回、私が一番感動したセミナーは、新しい褥瘡管理についてのもので。一日を行動別に細分化し、それぞれの行動に於けるシーティングを座後分布測定器を用いて分析し、褥瘡の原因を解明して解決するというものでした。私も日本でお手伝いした患者さん達の褥瘡が、シーティングや褥瘡防止クッションによって治癒されないときに、車椅子から降りたときの座面や姿勢を調べることがありますが、このセミナーは、まさにそれを科学的に座圧分布測定器を使用して行ったものでした。
講師の先生が使用していたXセンサーという座圧分布測定器は、つい最近、私の会社で日本語ローカライズを完成し、発売したものです。メーカーの方達もとても協力的なので、彼女の手法を日本に伝えて褥瘡に困っている方達に役立てていきたいです。

 

流氷ダイビング2003

<2003年2月22日>
知床半島の宇登呂で、昔から一度はやってみたいと考えていた流氷ダイビングに初めて挑戦しました。当日は、晴天で-5°~-9°と、この時期の宇登呂にしては気温が高く、最高の流氷ダイビング日よりになりました。一辺が2m程の三角形の穴からエントリー。真水と塩水の混ざった層を抜けて、水深1.5m以下に潜降すると、20m程の透明度があり、薄暗い海中から見上げると、頭上の流氷が厚さによって地球の模様のように見え、入って来た穴から光が差し込んでいて、とても神秘的でした。水温は-1.7°でしたが、防寒対策を念入りに行ったことで、露出していた頬以外は殆ど寒さを感じませんでした。一番見たかったクリオネとも遭遇できて大感激。さらに詳しい流氷ダイビングのレポートはこちらから。

アドバンス・セミナー2003

<2003年1月25~28日>
国際シーティング・シンポジウム等で、いつもシーティングについて教えていただいているPTでシーティングスペシャリストのシャロン・プラットさんを日本に招いて、東京、大阪、福岡で上級者向けのセミナーを開催しました。今回、私は通訳を務め、マットテーブル上での評価方法とその評価結果のシーティングへの応用を中心に、朝から夕方まで、長時間に渡って内容の濃いセミナーを行いました。リハビリ・医療関係者を中心に300人近い方に参加していただきました。参加いただいたみなさま、ありがとうございました。 今回の反省点は、シーティング上級者向けのセミナーであったのに、初心者と経験者、そして高齢者と障害児を担当する方達が混在していまったことです。今後は、ニーズに応じて、更に細分化したセミナーを開催していきたいと考えてています。

久々の特集番組

<2003年1月18, 25日>
テレビには色々な形で度々出演させていただいていますが、久々に30分の特集番組を作っていただきました。この番組は「人間発見」という日本経済新聞夕刊の平日5日間連続の特集記事をテレビ化するというもので、以前私も取り上げていただき、その後には『「人間発見」時代を変革する50人』として一冊の本になり、50人の一人として私の記事も掲載していただいたので、テレビの方も喜んで承諾しました。
収録は一ヶ月に渡り、私の会社での仕事風景はもちろん、講演やセミナー、趣味である、スクーバダイビングからベースの演奏まで撮影していただきました。私の活動があまりにも多岐に渡っているため、これを、どうまとめるのか心配だったのですが、放映の3日前に、やっと編集が完成したとのことでした。
放送された番組の内容は、一般的には良い内容だったと思いますが、元になる「人間発見」の記事とは大幅に異なっていました。私のコメントの多くがカットされていたことで、私を知る人達、もっと深く知りたいという人達には内容が浅かったようです。
ダイビングの場面でも、私が使うようになってから、素晴らしくバリアフリーになったマリーナの施設について、何も取り上げられなかったのは残念でした。反対に、私がダイビングのキャスターバッグを引く方向を間違えて、バッグが倒れる場面が繰り返し使われたり、私が車椅子でケーブルにつまずく場面が放映されたのには驚かされました。普段使用している前輪の小さな車椅子だと、港などではつまずき易いので、空気入りの大きな前輪を装した海専用の車椅子に乗り換えていると説明し、実際に使用しているところも撮影したのに、乗り換える前の、それも滅多にないつまずく場面が使用されたのは、たいへん残念でした。
テレビに出していただくのは嬉しいけれど、撮影をする人や編集する人の理解度によって、間違った情報が何万人もの人に伝えられてしまうのは恐ろしいことです。番組をご覧になった方が、良いメッセージだけを受け止めてくださったことを願っています。